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 100m走なら日本一 −ニホンピロスタディ− コラムニスト:FUKU


 彼のテンの100mのスピードは際立っていた、そう、デビューしたての頃から。

 '94年8月13日、札幌・芝・1000mを57.9。
 当時の3歳レコードで駆け抜けたデビュー戦。
 9月25日、ダートに変更になった函館3歳S。
 得意とはいえないダートで、ダート巧者ダンツダンサーのレコード勝ちの2着。
 3歳の秋の時点で、すでにその高いスピード資質を垣間見せていた。

 5ヶ月の休養明け、京都の葵S、イサミサクラの2着。
 マーガレットS、マイルへの距離延長が堪えて10着に沈む。
 中京で行われた菩提樹S、またしてもダンツダンサーの後塵を拝して3着という具合に、
明け4歳の3走は不本意な成績に終わったが、再び北海道に飛ぶと調子を取り戻す。

 初の古馬相手のレースとなった白樺賞(オープン)。
 かつて2度にわたって後塵を拝したダンツダンサーとともに古馬に挑んだ彼。
 そして彼は、春にダービー卿CT(GV)を勝っているオギティファニーとの逃げ争いを制し、
 クロフネミステリー・リバーセキトバ以下の追撃を封じ込めてのレコード勝ち(当時)を演じたのである。
 ダンツダンサーはいいところなくシンガリ大敗を喫した。

 俄然勢いづいて挑戦した札幌スプリントS(GV)。
 再びオギティファニーを競り落とし、一瞬勝ったか、と思ったのも束の間、ノーブルグラスの末脚に屈して2着。
 しかし、高い資質をみせつけるには十分すぎるほどの内容だった。

 中3週でマリーンSへ、あのノーブルグラスを3着に下しての快勝。
 中2週で青函Sへ、3たびオギティファニーに先着するも、前走2着に下していたホクトフィーバスに
 お返しされて2着。

 こうして北海道シリーズを4戦2勝2着2回で締めくくった彼は、中5週で京都のオパールSに向かう。

 ここに駒を進めてきた馬の中に、前年のスプリンターズSを4歳馬の身で4着した
 エイシンワシントンの姿があった。
 しかしレースの方はというと、59.5キロのトップハンデが堪えてエイシンワシントンがいつもほどの
 スピードを発揮できない。
 結果、ニホンピロスタディがプラチナシチー以下を抑えて1.07.6の素晴らしいタイムで快勝した。

 再び勢いに乗って、中1週でスワンSへ。
 しかし1400mでは若干距離が長かったか、1.20.8というタイムを計時したものの6着に終る。

 気を取り直して中京のシリウスS(当時は芝1200m・オープン)へ。
 ユキミザケ以下を抑えて1.08.0で駆け抜け、勇躍GT・スプリンターズSへ向かう。

 '95年12月17日、中山競馬場11R、第29回スプリンターズS(GT)。
 短距離重賞の常連・ビコーペガサス。
 古馬相手の重賞で好走歴があるヒシアケボノ・メイショウテゾロ。
 昨年の4着馬・エイシンワシントン。
 外国参戦のソーファクチュアル・ワイルドゾーン。
 夏を境に本格化したホクトフィーバスなど、そうそうたるメンバーが集った。

 エイシンワシントン・ホクトフィーバス・ユキミザケらによるハナ争いが注目されたが、
 それらのハナを叩いたのは4歳のニホンピロスタディだった。
 前半の600mを32.9で通過、ニホンピロスタディ先頭で4コーナーをカーブして310mの直線へ。
 そのまま逃げ込みを計ったニホンピロスタディだったが、ヒシアケボノ・ビコーペガサス・ソーファクチュアルに
 交わされる。
 さらにホクトフィーバス以下も襲い掛かって来たが、懸命に踏ん張って4着に粘り込んで見せた。
 この時点では、来年以降のこの馬に寄せられる期待は相当なものだった、そう、この時点では。

 3ヶ月の休養を挟み、明け5歳となった彼が復帰戦に選んだのは'96年3月23日の陽春S。
 マイラーズC3着で復調の兆しを見せたエイシンワシントンが59キロの酷量もなんのその、
 上がり馬フラワーパークを完封して鮮やかに逃げ切り。
 こちらも酷量58キロを背負ったニホンピロスタディは3コーナー・4コーナー・ゴール板、ずっと3番手だった。
 レース後、彼は7ヶ月に及ぶ休養を余儀なくされる。

 10月26日のスワンSでようやく復帰。
 果敢にハナを切るも、直線は完全に脚が上がってしまい、1.20.6で走破したものの15着に沈む。
 このとき勝ったのがスギノハヤカゼで、1.19.3のJRAレコードだった。

 中3週でCBC賞へ、勝ったエイシンワシントンの2番手を進むも、直線止まってレコード決着の8着。
 休養前の走りを取り戻せぬまま、2年連続2度目のGT挑戦・・・スプリンターズSに臨んだ。

 '96年12月15日、中山競馬場11R・第30回スプリンターズS(GT)。
 例年に比べ頭数は少ないものの、快速自慢の11頭が顔を揃えた。
 1番人気は春に高松宮杯(GT)を制している5歳牝馬、フラワーパーク。
 前走CBC賞ではエイシンワシントンの2着に終わったが、
 坂のある中山コースなら逆転も可能とファンは見たか。
 2番人気がもはや短距離の顔とも言うべき名脇役・ビコーペガサス。
 惜敗のオンパレードにそろそろピリオドを打ちたいところ。
 3番人気がフラワーパークを抑えてCBC賞をレコード勝ち、しかもここまで対フラワーパーク負け知らずの
 エイシンワシントン。
 ニホンピロスタディはここ2走の惨敗が嫌われたか、最低人気だった。

 ゲートイン完了、スタートが切られた。
 昨年の覇者で4番人気、前走マイルCSの582キロから−16キロで出てきたヒシアケボノが
 大出遅れをやらかし場内がざわめく。
 対照的に好スタートを決めたのは1番人気・大外11番枠フラワーパーク。
 しかしその内から、行ってナンボのゼッケン8番・エイシンワシントンがハナを切る。
 フラワーパークは控えて2番手、その後ろに黄色い帽子のニホンピロスタディ、並んで4歳馬トーヨーロータス。
 5番手にスワンSで破格のレコードを叩きだした4歳馬・スギノハヤカゼ。
 その後ろに押し上げてきたのが出負けしたヒシアケボノ。
 7番手に2番人気ビコーペガサス、その隣にシンコウキング。
 あまりスタートが良くなかったか、先行馬サクラスピードオーがその後ろ、さらにはフジノマッケンオー。
 一番後ろから札幌スプリントSの覇者・ノーブルグラスといった体勢で600の標識を通過。
 33.5というゆったりした流れで4コーナーへ。
 突如、中山競馬場を包んだ2度目のどよめき。
 4コーナー入り口付近で黄色い帽子がズルズルッと後退。
 一瞬にしてビコーペガサスの進路が塞がる。
 慌ててこれを交わしてゆくサクラスピードオー、フジノマッケンオー、ノーブルグラスの3騎。
 前を行く2頭が後続を引き離して直線に向いた。
 エイシンワシントンがさらに逃げ脚を伸ばす。
 すぐ外からフラワーパークが迫る。
 3番手以下は完全にちぎれて中山の急坂。
 エイシンワシントン・熊沢重文の剛腕が懸命に愛馬を追う。
 フラワーパーク・田原成貴のムチが唸る、唸る。
 スプリント戦、しかもGTでは滅多にお目にかかれない、壮絶な2頭のマッチレース。
 内のエイシンワシントンの首が上がり、外のフラワーパークが全身を沈め込んだところがゴール板だった。

 肉眼ではまったくわからない。
 ターフビジョンの映像を見ても、同着にしか映らない。
 ゴールまで辿り着いた10頭のうち、この2頭だけが全く別次元のレースをしていたかのようにさえ感じられた。
 3着以下はすでに掲示板に上がっている。
 両雄が3着のシンコウキングにつけた着差、実に5馬身。
 長い、本当に長い写真判定。
 永遠にさえ感じられた10数分。
 そして、午後3時半過ぎ、確定が告げられた。
 着差・・・ハナ(後に僅か1センチ差だった事が判明)。
 2つだけ空いていた電光掲示板の馬番。
 その2つの馬番の上の方に灯ったのは"11"の2文字だった。

 そして、その歴史的マッチレースの陰で、ゴール板を通過することなくターフを去った1頭の馬。
 黄色の帽子、5枠5番。
 ニホンピロスタディ、牡5歳。
 診断結果・・・予後不良。
 通算戦績、17戦5勝。

 あまりにも唐突な死。
 あまりにも壮絶な死。
 父がフラワーパークと同じニホンピロウイナーという血統背景から見ても、まだまだこれから、
 というときに突如訪れた運命の悪戯。
 とにかく、最初の100mのスピードだけなら日本随一だった・・・間違いないだろう、これは。
 毎年変わることなく夏の札幌で行われる新馬戦。
 デビュー戦から1000mを57秒台で走れる若駒など、ほんの一握りしかいない。
 そこからさらに古馬になってからもオープンで掲示板に載れる馬となれば、数えるほどになってしまう。
 彼らもまたそうであるように、決して記録や記憶に残るような名馬ではなかった、彼は。
 だが、1度は刻まれた札幌芝1000mのレコードタイム。
 一線級の、それこそ記録や記憶に残るような馬たちと真っ向から戦い、
 勝ち負けした4歳の夏、秋、冬、5歳の春。
 その時に彼の身体から放たれていた輝きが、少しでも後世に語り継がれる事を、今は願おう。

 ほんの一握りの名馬たちと、それを取り巻く数多くの脇役たち。
 彼らによって競馬が形作られているという事を、決して忘れてはならない。
 脇役たちにもまた、1頭1頭それぞれに全く違うドラマがあるという事も。

 (FUKUSHIMAのダビスタページ


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