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『久遠の絆』高杉響子SS

煉獄の絆

 とうに過ぎてしまったはずの光景が、目の前にあった。
 これは夢?
 いや、その光景の中には、夢にありがちな不安定感、あるいは叶わぬ願望を補う安らぎはなかった。
 ならば、これは過去の記憶……?
 にしては、視点がかつての現実とは異なっている。
 この時、この場所に自分は確かに居合わせた。だが今見える光景は、その自分の視点ではなく、どこか遠いところに置いたカメラで覗いているようなものだった。
 それでも、この場所には憶えがある。
 うちの高校の学生食堂。
 もうずいぶん昔に思える。
 このシーンは、そう。
 杵築悠利と御門武が、初めて斎栞を巡って争った、その時。
 争いは、今まさに始まったところだ。
 悠利が武の蹴りをかわす。そして反撃。ひるまずにさらに拳が悠利を襲う。
 少し離れた場所にいる栞と有坂汰一が、争うふたりを見ている。
 栞は武の名前を叫び、今にも前に飛びだしかねない様子だ。
 その目は、ひたむきに武の身を案じている。
 そしてそれが、悠利の心にまたひとつ傷をつける。
 だが、悠利が気づいてない別の場所から、武を案じる栞のそれと同じ瞳で悠利を見つめるものがいた。
 高杉響子だ。
 否、悠利は気づいていた。その目に。しかし。
 悠利はその目に答えることはできなかった。
 あまりにも強い、栞への想いのために。
 それはまさに、呪縛と言ってもいいほどの想いだった。
 そして響子も気づいていた、その悠利の想いを。知っていながら、悠利に対する想いは止められない。
 あの時のままだ。
 当事者以外は誰も知らない、哀しい記憶。
 だが、誰の記憶だ?
 自分は、誰だ?
 この場にいた誰かであることは間違いない。この光景には間違いなく憶えがある。
 だが、今の視点――すべてを見下ろし、すべての登場人物の行動と心理を客観的に捕らえている目では、本来の自分の目がどれだったのか、思いもつかない。
 そして、その答えが出る前に。
 暗転。

 また目の前に光景が広がった。
 ここは、ここは京都だ。
 修学旅行の目的地となった古都。
 そこには、御門武と斎栞、そして高杉響子がいた。
 響子が何かを言っている。泣きそうな顔で。
 そして声が届く。
 悠利を助けたいと。
 栞が答える。
 悠利は傷つき、苦しみ、孤独であると。
 そして、武も言う。
 手の届かないところに逝かないよう、祈ってやれと。
 馬鹿げた答えに、それでも響子は納得した表情を浮かべる。
 祈っても無駄だと言ってやりたい。
 なぜなら、このあと悠利は……。
 しかし、今この光景を見ている自分には何も出来ない。
 する気も起きない。
 今の自分は、単なる観察者だ。
 過ぎ去った過去。変えられない過去を、ただ見るだけ。
 そして。
 また、暗転。

 古びた神社。
 鳥居をくぐった先にある本社に向け、参道を慣れた風に歩いていく人影。
 高杉響子だ。
 賽銭箱の前に辿り着くと、おもむろにポケットから小銭入れを手に取り、中から少し大きめの硬貨をつまみ出す。
 硬貨を賽銭箱に入れる。
 ちゃりん、と重めの音。
 どこで憶えてきたか、それから響子は正しい神式の参拝作法、二礼二拍手をもって神に礼をつくし、それきり頭を下げたままの姿勢で拝む。
 言ってやりたい。
 その祈りは既に無駄だと。
 どうせ自分の声は届かないと知りつつ、哀れな女に何かを言ってやりたい。
 そんなことをする必要はないと。
 そんなことをしてもらう価値は自分にはないと。
 自分?
 そうだ、自分だ。
 響子は、自分のために祈っている。 彼女の想いが、波動となって自分の心に伝わってくる。
 元に戻って、生きていて、他の人が好きでも構わない、ただ近くにいてくれるだけで。
 幾つもの想いが、浜に寄せる波のように、次から次へと去来する。
 こんな自分のための想い。
 こんな杵築悠利なんていう馬鹿な男のための祈り。
 そうだ。
 俺は……。

 また、暗転。
 だが、さっきまでのそれとは何か違う。
 俺が見ていた記憶の映像とは違う、今ここにある暗闇。
 ここは、どこだ?
 暗く、冷たく、乾いた場所。
 確か俺は、あの蛇のような悪意に体を明け渡し、それでも御門に敗れ、そして、あの穴に落ちて……ここは……地獄なのか?
「……どこ?」
 闇の中、声が聞こえる。
 か細く、怯えきった声。
 どこかで聞いた声。
「……悠利……どこなの?」
 俺の名を呼んでいる?
 この声は?
『響子!?』
 俺は叫んだはずだった。だが、それは声にはならない。喉のあたりでひゅうひゅうと空気が抜けるような感覚だけがある。
 俺の体はどうなってるんだ?
 そこで初めて気づく。
 体全体の感覚が妙だ。
 まともに手足がついてるような感じがしない。
 確かめたくても、この闇では何も見えない。
 いや、そう言えば、まぶたも眼球すらも自由に動かない。
 果して、光があったとして、俺の目は役に立つのか?
 そう考えている間にも、声はこちらに近づいてくる。
「悠利! 聞こえているなら返事して!」
 と、その時だった。
「それ以上進んではならぬ、人の子よ」
「!?」
 闇の中、響く女の声。
 息を呑む響子の怯えが伝わってくる。
 だが、気丈にも彼女は声に向かって言い返す。
「だ、誰っ!?」
「吾の名を問う前に、己が名を言うが道理であろう? とは言え……話は聞いておるぞ、高杉響子よ」
 その言葉と共に、突然目の前に人影が現れる。
 まるでスポットライトにそこだけが照らされているように。
 いや、その人影自体が光を放っていた。まるで、光の化身のような姿。
 古風な、上古の時代を思わせる衣服に、さまざまな装身具を身に着けた女性は、その体の周囲に紫電をまとわりつかせている。
 明らかに、「それ」は人間以上の存在だった。
 その光は俺を圧倒しつつも、どこか暖かな、安らぎに似た感覚を伝えてくる。
 それでいて、近寄りがたい高貴さをも同時に持ち合わせていた。
「あんたが、先輩が言ってたここの管理人?」
 だが、その女性に気圧されることなく、響子が言う。
 今や、女性の光の余波で響子の姿も見えるようになっていた。
 その姿は薄汚れ、疲れ切って、気力だけでもっているような状態だった。
 ここに来るまでに、どんな目にあっていたのか想像がつく。
 そのせいか、響子はかなり気が立っているようだ。
 自然、女性に対する口調も、相当ぶっきらぼうな失礼な物言いになっている。
 やめておけと、俺の中のある部分が警報を発する。
 それは、本能。
 この女性を怒らせたら、それが過失だろうと誤解だろうと容赦してもらえないだろうと、俺の中の本能が響子の態度に危険な匂いを敏感に感じ取る。
 だが、その女性は笑ったようだった。
「ふふ……管理人とな? 薙からそう聞いておるのか? まったく神剣ともあろうものが、俗界の毒に当たったか、はたまた父親に似たか、すっかり雑に育ってしもうて」
 憎まれ口を、さも嬉しそうに言うその姿に、俺は一瞬だけ身近なものを感じる。
 しかし、響子はそんな女性の様子など、まったく頓着せずに言う。
「薙? 神剣? 悪いけど何のことかわかんないわ……それより、あんたに会えば、会って私が認められれば、悠利を返してくれるって聞いたわ! 悠利はどこ!? 何をすればいいんだよっ!?」
 荒々しく言い放つ響子。だが、女性は気を悪くした様子もなく、むしろ優しく響子に語りかけた。
「辛かったであろ? 人の身のまま黄泉比良坂を下りてくるのは。よう我慢したの」
 その言葉に、張りつめ続けてきた響子の精神がふと緩んだようだ。
「う……うん。怖かったよ。暗くて……寒くて……でも……悠利がいるから。悠利はもっと辛い思いしてるから……だから……!」
 響子の目尻にうっすらと涙が浮かんでいる。
 だが、この期に及んでまだ響子は、それ以上泣くのをこらえている。
 こんな俺のために。
 わがままで傍若無人なくせに、こいつは寂しがりやだった。
 悠利、悠利と俺のあとを追いまわし、何かと構いたがった。
 俺も、そんな姿に桐子の面影を見ることがあって、好きにさせていた。
 だけど、こいつは桐子とは違う。
 それだけの理由で、俺はこいつを拒絶した。
 なのに、こいつはずっと俺を追って……。
「……善き哉!」
 闇の中、女性の声が響く。
「汝が想い、吾はしかと見極めた。元より、薙のたっての願い。本来、転生もならぬ魔界の穴に落ちた亡者を、この黄泉の地に呼びつけるのは骨が折れたが、汝を見れば願いを叶えた甲斐もあろうというもの。なれど……その想いが真なるものか、今一度試すが良い!」
 その言葉と同時に、俺の周囲が明るくなる。
 とっさのことに、目が眩んで視界が真っ白になる。
「ゆ……悠利?」
 響子の困惑した声。
 そして、戻ってくる視力。
 そこには、俺の目の前には、薄汚い布に包まれた俺の姿があった。
 しかも、ふたつ。
 いや、それを見ている俺も含めると、三人の俺が並んで座っていることになる。
「汝の想い人を選ぶが良い。今はかようにあさましい亡者の姿ではあるが、現世(うつしよ)に戻れば元の血肉を取り戻そう。そのために、汝に一人ひとつずつの問いを許す。ゆめゆめ間違うことなきようにの……」
 女性が重々しく響子に告げる。
 それを見て、響子がこくりとうなずいた。

 馬鹿野郎! やめろ!
 そう叫びたいが、俺は声を出せない。
 そうだ。わかっている。
 今の俺は、目の前の女性によって、特別に生者の前に姿を現すことを許された存在。
 響子に質問されたことにしか答えられない。
 亡者である俺は本能的に知っている。
 これは、道返しの儀(ちがえしのぎ)。
 今から行なわれようとしているこれは、亡者が現世に戻るための数少ないチャンス。
 だが、本来行き来を許されない黄泉の国から亡者を連れ戻すためには、当然のことながらリスクを負わされることになる。
 もし、響子が間違えた亡者を連れていけば……あいつは脱出直前に、その亡者に食われてしまう。
 黄泉返りを認められない亡者を外に連れ出すには、代わりの亡者が必要になる。つまり、そいつを連れだそうとした奴が、身をもって代理となるというわけだ。
 響子に、あいつにそんな危険な橋を渡らせるわけにはいかない。
 こんな俺なんかのために、あいつが命を賭けるのは間違ってる。
 しかし、そんな俺の想いを伝える術もないまま、既に響子は俺から一番離れた場所にいる亡者に問いかけようとしていた。
「悠利、迎えに来たよ……待ってた?」
 恐る恐るといった感じで、優しく響子は語り掛ける。
 亡者が答える。
「響子……待ってたぜ……ここは、寒いところだ……早く……連れ出してくれ……」
 亡者は自由になりたい一心で、俺のふりをする。
 馬鹿が。
 この俺が、そんな泣き言を口にしてたまるか。
 栞を求め千年の輪廻さえ超えた俺には、この程度の闇や寒さで弱音は吐けない。
 だが、響子はその言葉にうっすらと涙を浮かべ、哀れむような目で、その亡者を見つめる。
 まさか、この程度のペテンに引っかかってる訳か? なら、響子。おまえはその程度の女だ。勝手に亡者に喰われちまえ。
 そんな俺の思いも届かぬまま、響子は続く亡者、俺の隣の奴へと顔を移す。
「……悠利、まだ、あいつの、栞のこと好き?」
 これが、ふたつ目の質問。
 亡者が答える。
「……いや……響子……俺は目が覚めたよ……栞より……もっと……俺のことを想ってくれた女に……やっと……気づいた……響子……一緒に帰ろうぜ……」
 亡者の奴は。俺と瓜二つの声で甘い言葉を囁く。
 こいつも馬鹿だ。
 響子が俺のことを想っていたなんてことは、とうの昔に気づいていたことだ。
 俺自身、響子には他の誰とも違う気持ちを持っていた。
 だが、俺は栞への気持ちを嘘にしたくなかった。
 栞への気持ちが嘘になっちまったら、響子への気持ちも嘘になっちまう。
 半端な覚悟で想いを断ち切る訳にはいかなかった。
 だが、響子は呟いた。
「ずっと前から……そう言って欲しかったよ……悠利……」
 そして、初めて大粒の涙をぽろぽろと流す。
 響子……そんな程度だったのか? おまえの想いは。おまえの覚悟は。
 その俺の心も、言葉にはならない。
 そして、響子は最後の亡者、つまり俺の方を向いて言った。
「悠利……一緒に帰ろう?」
 俺は無言だった。
「悠利?」
 俺の想いを言葉にすることは簡単だ。だが、隣の亡者どもみたいな軽い言葉は、それこそ死んだ今でも口には出せない。
 だが、このままでは響子は亡者の甘言に乗って、喰われてしまうだろう。
 だから、俺は口を開いた。
「きょう……こ……」
 予想以上に辛い。
 俺の身体は、俺が思っていた以上に朽ち果てているらしい。
 口から出る声も、ガサガサで生きた人間のそれとは違う。
 それでも、言わなくちゃならない。
「……とっとと……ここから……かえ……れ……」
「悠利!?」
 俺の言葉に、響子の顔に信じられないといった表情が浮かぶ。
 だが、その顔から俺は目を背け、構わず言葉を続ける。
「……一緒に……帰って……どうする……? 御門の……野郎は……高原とよろしく……やってるんだろう……? 栞は……まだ、ひとりだ……俺は……また……あいつの尻を……追いかけて……おまえは……それを……眺めてるだけ……その……繰り返しだ……」
 響子は無言で俺の言葉を聞いている。
「それで……おまえは……幸せか? それどころか……今度は……おまえまで……死んじまうかも……しれねえぞ……俺はもう……手段は……選ばねえからな……」
 これは、この部分は、嘘だ。
 あの時、太祖に乗っ取られていた俺は、桐子の記憶を取り戻した栞を、共に魔界の穴へと引きずり込もうとした。高原も常盤もまとめて。誰でも良かった。
 御門への憎しみと、太祖の恨みの念に引きずりまわされ、俺は何よりも大切なはずの栞にとんでもないことをするところだった。
 もう、とても栞には顔向けできない。
 もちろん、響子にも、だ。
 だから俺は言葉を繋ぐ。
「こんな……地獄に……おまえも……落ちたいのか……? だったら……好きにしろ……だが……そうじゃねえなら……とっとと……帰りやがれ……俺は……おまえなんか……必要と……してねえ……」
 そして、それきり俺は黙った。
 しばしの静寂。
 そして。
「さあ、人の子よ。選ぶが良いぞ汝の想い人を。選べぬのならこれまで。吾が現世まで送り届けてやろうぞ。さて……如何に?」
 審判の声が聞こえた。
「……」
 響子は何も言わない。
 そうだ。そのまま帰っちまえ。自分のことだけ考えてりゃいいんだ。
 だが、響子は動こうとしない。
 そして、ぽつりと呟いた。
「悠利って……本当は優しいんだよ……」
「?」
 何を言ってるんだ、こいつは?
「……優しいから、あたしには優しくないんだ。不器用で、寂しがりやで、誰よりひとりが嫌なのに、ひとりになりたがって……」
 響子は少し上を見上げるように、誰にともなく呟き続ける。
「でも、あたしちゃんとわかってる、悠利の気持ち。寂しいのも、栞のヤツが相手してくれなくて苦しいのも、悲しいのも。あたしと悠利は同じだから。それに、悠利もちゃんとあたしの気持ち知っててくれてる。だから、あたしにあまり優しくしないの。悠利の好きな気持ちは変えられないから、それであたしが辛くならないように。でしょ?」
 そう言って、響子はくるっと振り向き、ぴたりと俺の目を見た。
 俺に……言ってるのか?
「知ってる? 悠利ってね、あたしにわざと冷たいこと言って、あたしが傷ついた顔すると、何も言わないけど、自分も泣きそうな顔するの。そんな顔するくらいなら、なんにも言わなきゃいいのにって、いつも思ってた。自分じゃ気づいてなかったでしょ?」
 そう言いながら、響子は俺のところにゆっくりと近づいてくる。
 そして、さらに言葉を繋ぐ。
「あたしは、そんな悠利が大好きで、必要で、生きててほしい。栞のことも忘れなくていい。もし、また、とんでもない事件起こして死ぬ目に会うとしても、その時は……」
 今、響子の顔は俺のすぐ目の前にあった。
 響子はさらに、顔を寄せ、両手を俺の頭の横に伸ばし、そのまましっかりと俺の頭を抱き寄せた。
 俺の耳に、響子の熱い息と、言葉が届く。
「その時は……一緒に地獄に堕ちよう」
「きょう……こ……」
 開かぬはずの俺の口が開き、響子の名を呼ぶ。
「もう……ひとりにはさせないから……ずっと一緒だよ……悠利……」
 響子は泣いていた。
 俺も泣いていたのかもしれない。
 感覚のない体では、よくわからない。
 これから、響子は俺の手を取り、再び黄泉比良坂を上るのだろう。
 亡者の俺は、口には出せないが知っていた。まだ試練が残っていることを。
 しかし。
 響子なら、未来に立ち塞がるどんな試練も乗り越えるだろう。
 そして、俺はそれを傍らで見ていることだろう。
 ずっとずっと、共に命尽きるまで。
 栞を追い求めた千年の絆が切れ、今新たな絆が結ばれる音が、俺には聞こえたような気がした。

――了――


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