B. 念には念を入れ、三巳虫を飲むことにした。

万葉はおそるおそる小瓶のふたを開け、中を覗いてみた。
中には時折もそもそと動くだけの気持ちの悪い小さな虫が入っている。
(そういえばこれって無理矢理呑まされた人は沢山いるけど、自分で呑んだ人って桐子さんだけだったわねえ…)
万葉は覚悟を決めてその虫を1匹瓶のふたに取り、口に入れ一気に呑み込んだ。

「うっぷ、(やっぱり不味いわ)
でもなんだか力がみなぎってきた感じがするのは気のせいかしら。」

ようやく口の中の泥臭さが消えてくると、万葉は側に置いていた名刀千鳥を鞘から抜き、未だ可愛い寝顔で眠っている薙に向けて身構えた。
そして愛娘に斬りかかろうとしたその時、

《だめっ!》
頭の奥の方で声が聞こえる。

「誰っ?」

《私はあなたよ。私は螢、綾、澪、そして万葉よ。あなたの心の中のもう一人のあなた。
お願い、思い出して。あなたが本当にしたいことはそんなことではないはずだわ。》

「私が本当にしたいこと?」

《ええ、あなたはさっき無意識のうちに『可愛い寝顔』とか『愛娘』って考えていたわ。
あなたが本当にしたいことはその娘を殺すことじゃないのよ。》

(可愛い寝顔・・愛娘・・薙・・はっ!)
万葉は瞬時に本当にしたいことを思い出していた。万葉の手から名刀がこぼれ落ちる。
そして万葉は薙を抱きしめようとソファに寄りかかった。

…ドサッ…
しかし次の瞬間万葉はソファの側に倒れ込みそのまま意識を失った。
予想だにしなかった事態である。プラスの力しか持たない神剣の巫女である彼女には三巳虫の毒に打ち克ってパワーアップを果たすことは元々無理だったらしい。

万葉の倒れ込む音を聞き、薙が目を覚ます。
そして眠気の抜けない眼をこすりながら辺りを見回す。

「ママ、どうしたの?・・・・ママ?」
最初は万葉がただ寝ているだけだと思った薙だが、すぐに何かおかしいことに気付く。
倒れている万葉の近くには怪しい輝きを放つ刀、そしてふたが開いたままの小瓶が転がっていた。

小瓶の中のものを見て薙はすぐにそれがなんなのかわかった。
天野聡子、そして神剣であった時の記憶が残っていたのである。
いや、正確にそれが何なのかはわからなかったかもしれない。
が、それが毒であり万葉がそのせいで倒れているということは瞬時に悟っていた。

薙は万葉の元へ駆け寄り、なんとか万葉を正気付かそうと体を揺らし腕を引っ張ってみる。
万葉が自分を殺そうとして気持ちの悪い毒虫を呑み、転がっている刀で斬りかかろうとしていた、という意識は、万葉をなんとか助けたいという強い気持ちによってすでに頭の隅の方に追いやられていた。

「ママぁ、起きてよぉ。お願いだから…、ママぁ
なぎ、もうサントラ欲しいなんて言わないから・・
それに『パパと添い寝』も我慢するからぁ・・ママぁ」
しかし万葉はピクリとも動かない。

「パパぁ、お願い。ママを助けて……パ…パ、おね…が…い、ママ…を……」
泣きながら万葉に抱きついたまま、いつしか薙は眠ってしまった。

聞く者のいなくなったテレビから『去りゆく君』が静かに流れている。



朝、薙が布団の中で目を覚ます。
(いつのまに布団に? 昨日のあれは夢だったの?)
左には万葉が寝ている。
右の布団にいるはずの武はいない。ただ武の温もりと匂いだけが残っていた。
薙は再び左に向き直り、万葉を起こそうと体を揺らす。
「ママ、ママぁ…」
しかし万葉は昨日の夜と同じように全く動かない…ように薙には思えた。

その時、部屋のふすまが開き、武が入ってきた。

「パパぁ、ママが、ママが、うぇーん」
起きあがり、武の胸に泣きつく薙。

「万葉のことならもう心配無いぞ、薙。」

「え?」

「今はぐっすり眠っているだけだ。」

「眠っているだけ? パパが助けてくれたの?」

「パパだけじゃない。薙がいなかったらママは助からなかった。
薙がずっとママの側で毒を和らげていてくれたから、パパが帰ってきた時にママを助けることができたんだよ。」

「ほんと?」

「ああ、ほんとだよ。薙がママを守ったんだ。」

「パパぁ」
武の肩に飛びつく薙。

「さあ、コーヒーが入ったから居間へ行こう。万葉もそのうち起きるだろう。」

2人が居間へ入るとコーヒーのなんとも言えないいい匂いで満たされていた。
そしてテレビから『時の降る朝』が流れている。
(あのまま付けっぱなしだったのか、朝起きて武が付けたのかはわからないが)

武が自分の大きいカップと薙の小さいカップにコーヒーをついでいく。

そして入れ終わった小さなカップを薙に手渡す。
「ほら、薙、熱いから気を付けるんだぞ。」

「うん。なぎ、パパのコーヒーだーいすきっ(はぁと)」

「そうか、うれしいなあ」

「あ、ママだ」

「え、あ、万葉、起きたのか?」

「ええ、あなたと薙の声がするもんだから。それにあなたが入れたコーヒーの匂いがしたから。」

「うふふ、ママもパパのコーヒー大好きなんだね。」

「ええ。
武さん、昨日、私・・・」

「なにも言わなくていい。昨日のことはもういいから。
こうして3人で時の降る朝を迎えられたことだけで幸せさ。
そうだろ? 万葉、薙」

「武さん」
「パパぁ」
万葉と薙が武の胸に飛び込む。武は2人をいつまでも抱きしめていた。

やがて『時の降る朝』が終わり『真秀ろば』が流れていた。
(だってここがこのSSのトゥルーエンドなんだもん(笑))


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